全国環境教育ネットワーク
09年奄美皆既日食巡検の概要    神(鹿児島)、編集:根岸
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■期日 7月20日(月)〜24日(金) 4泊5日
■内容

■20日 10:25 羽田空港発 → 12:15 鹿児島空港着
    14:50 鹿児島空港発 → 15:40 奄美空港着

●午後:奄美パーク
  旧空港跡に建設され、ビジュアルに凝った「奄美の郷」の展示物がある。「田中一村 記念美術館」、奄美の文化のエリアがある。
 
●夜:薗博明さん(奄美の渚を守る会)  1.人物  環境ネットワーク奄美
  アマミノクロウサギを原告として、奄美北部の笠利の山にゴルフ場を作るのを告発し てきた。奄美の暮らしは、自然と共生している。長年、奄美で教師を続け退職後も組合 の環境分科会の共同研究者として、環境教育実践研究を積み上げてきた。
  「シマには荒らしていけない森、伐ってはいけない木があった。子どもたちは、トゥ ートゥガナシ(神様)の宿る山、ケンムン(妖怪)が棲んでいる木と優しく脅されて育 った。小さい貝や魚を採ったとき「フレムンヌ(がかもんが)としかられ、ウンチムド ゥシクゥ(海に戻しなさい)」と諭されて自然との係わり方を学んだ。「奄振」なる妖 怪は、神聖なる森をつぶしタタリにおののいた大木を無造作に倒してしまった。古老の ムンバナシに胸をときめかした「月の白浜アダンの木かげ」にかっての面影はない。今 の大人たちは、「水は山おかげ、人は世間おかげ」と語ることもできまい」と語ってい る。(鹿児島大学教育学部実践紀要12巻2002年11月、鹿児島大学 神田嘉延より)

■21日(火)

●午前1:アマミノクロウサギと森(屋入)
  アマミノクロウサギを原告としてゴルフ場反対運動の場となった。論点は、奄美の自 然権利訴訟は、人間の暮らしや文化における自然の意味を積極的に明らかにしたのであ る。アマミノクロウサギなどの野生生物を原告にした裁判は、人間の暮らしや文化、人 間の開発のあり方などを問いかけている。(同上、神田嘉延)
  野生生物観察者と環境保護団体が、奄美の自然の代弁者と、ゴルフ場開発予定地、そ の周辺の林地開発処分の取り消し、無効確認訴訟の原告となりうるかということである。
  平成13年度1月22日の鹿児島地方裁判所の判決言い渡しでは原告の主張は認めら れなかった。しかし、自然保護の法的評価の高まりとして、社会的意義のあったことを 判決言い渡しの中で認めている。「動産・不動産に対する近代所有権が、それらの総体 としての自然そのものまでも支配し得ると言い得るのかどうか、あるいは、自然が人間 のために存在するとの考え方をこのまま押し進めて良いのかどうかについては、深刻な 環境破壊が進行している現今において、国民の英知を集めて検討すべき重要な課題とい うべきである。」(同上、神田嘉延)
 
●午前2:奄美と薩摩(手花部)
  奄美大島は有史以来、現在に至るまで3回も日本の捨て石になった歴史がある。ここ 奄美北部の手花部には、第1回目・1606年「奄美・琉球侵攻」に伴う薩摩藩の直轄 植民地化した際の、上陸とその激戦地が残されている。  
  400周年を記念し薗氏と森本氏らが「先祖の生き方を検証し、今を見つめ未来を展 望するすることが自分たちで生きていくための条件」として慰霊祭と石碑建立を行った。(写真右)
 
●午前3:奄美の渚(あやまる岬)
  奄美北部の太平洋に面し、その名も「綾なる」から転じたとされる景勝の地。珊瑚礁 のリーフに囲まれた奄美の海が赤や青の色鮮やかなサンゴで7色に輝き、潮が引くと岩 礁が現れ沖の方まで地続きになり、その岩礁の切れ間に深く青い色を見せてくれる。
  この景勝の地をケーブルカーを伴った観光地にしようと再開発の計画がおこり、薗氏 を代表とする“奄美の渚を守る会”が開発阻止の運動に立ち上がった。
  地質的には、奄美北部は第四紀以降の世界的に第一級の隆起地域であり、奄美空港の 背後に盛り上がる標高50m程の大地には松かさや底生生物の生痕の化石がある。沖に 対面する喜界島では、12万年の間に200m隆起したとされる台地が見える。
 
●午後1:薗家の庭
  明治期に建てられた住宅がある。棟が座敷と炊事場に大きく分かれ平屋建ては、奄美 大島の伝統の建築様式を伝え、07年に国の有形文化財に指定された。庭にソテツが茂 りルリカケスが飛来する。奄美が薩摩藩に支配される1609年まで、旧正月になると 琉球の首里城から海路で訪れる王朝使節団を招いてこの地で宴が催されていた。
  薗氏が少年時代に日本帝国の教育を受け陸軍・海軍の大臣を夢見るごく普通の軍国少 年として育ち、太平洋戦争の末期には遠くで米軍機に撃墜される日本軍の戦闘機を見、 「敵軍の軍艦が上陸する」という噂で住民が死を覚悟し夜に非難した地でもある。
 
●午後2:自然観察の森(長雲の森)
  長雲(ながくも)峠と呼ばれる深い森の中に作られた自然公園。椎の大木が作る森を 気軽に散歩することができる。植物や野鳥も豊富でルリカケスやアカゲラ、アマミヤマ シギなどもあうことができる。
 
●午後3:安木屋場のソテツ山
  龍郷町北部の安木屋場の山一面にソテツが生えている。干害や薩摩の収奪などで飢饉 に陥ったときに島民を救った救荒植物である。そのまま食べると有毒で、水にさらすこ とで実や幹から澱粉を取り、それを粥にして飢えをしのいだ。
  このソテツ山は奄美の黒砂糖が明治維新での薩摩藩の活躍の財政的基盤だった裏の遺 構と言えよう。近くに維新の有名人「西郷隆盛」のまだ活躍する前に奄美大島に流され た住居跡がある。しかし、維新後にも黒砂糖の鹿児島県の大島商社による独占販売によ り島民は江戸時代と何ら変わらなかったこと、それを訴えに行った人々が捕らえられ西 南の役に参加させられ戦死したこと、維新後50年も奄美独自財政政策で税金は取りな がら財政措置は行わなかったことも銘記しておきたい。これが第二の捨て石政策である。
 
●夜:八月踊り  1.動画  2.参考
  奄美では旧暦の8月が1年の折目だったと言われる。稲の収穫が終わり一息つくのが この時期だったためで、八月踊りはこの旧暦の8月に集落毎に踊られる踊。奄美大島、 加計呂麻島、与路島、請島では、旧暦8月の最初の丙(ひのえ)の日【新節(あらふし)】、 中7日後の甲(きのえ)の日【柴差し】、その後の甲子(きのえね)の日【   (ど んが)】の三回に分けて行われ、これを「三八月(みはつがつ)」と呼ぶ。
  チヂン(太鼓)に合わせ唄い踊る。各のシマには10〜30曲のレパートリーがあり、 男女輪になるか、渦巻き状で歌を掛け合いながら踊る。そしてリズムがどんん早くなっ ていき盛り上がっていく。一箇所でずっと踊り続けるところもある、一晩中集落の各戸 を廻って踊るところもあり、本来は後者のような形態だったと言われる。
 
■22日(水)
●午前:皆既日食観察(大浜サンゴ海岸
  名瀬市の西側にある大浜海浜公園で観察の予定。海浜公園の名の通り海水浴場・公園 としての設備も良く整っており、珊瑚礁のリーフに囲まれた海岸は波静かで、水中メガ ネとシュノーケルで赤青色とりどりの枝サンゴなどを観察できる。潮の流れに注意しな がら海水浴を楽しみ、皆既日食を楽しむことができる。
  またここは、地球が丸いことを実感できる絶好の場所でもある。公園入口の丘の上か ら見る沖の二つの島が、海岸に下りて行くにつれ段々と海中に没していくのをバスの中 から観察できる。
 
●午後1:奄美野生生物保護センター(大和)
  環境省の野生生物等体験施設で他には(釧路湿原、北海道海鳥、鳥海山猛禽類、佐渡 トキ、対馬、やんばる、西表)がある。
  奄美大島に生息するアマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギなどの希 少な野生生物や奄美固有の生態系について解説し、野生生物保護への理解や関心を深め る普及啓発活動や、絶滅のおそれのある野生生物の保護増殖事業、調査研究などを総合 的に行うための拠点として設置された。
  
●午後2:徳浜の断崖(名音)
   鎌倉時代の大地震によってできたと言われる古生層チャートの断崖絶壁。奄美では 海岸まで山が迫り、特に沈降地形である南部では旧谷部に僅かにできた平地部分に人々 は住んでいる。ハブという毒蛇の棲む嶮しい山地を行き来するのは大変で、昔から隣の集落との交通は海を使うのが便利であった。それ故に、奄美では「海の彼方にある楽園」をネリヤカナヤといい、古来より彼方に神の国がありそこにすむ神が五穀豊穣をもたらすという思想がある。その彼方よりやってくる神は、一旦沖に立つ島に立ち寄ってからシマにやってくる。それが入り江の入口に立つ「立神」である。
 
●午後3:湯湾岳(宇検) 《 ハブに注意、長ズボン・長袖、靴を履く 》 1.
  奄美・琉球諸島の中で一番高い山である。亜熱帯の常緑照葉樹林の原生林で、山道を 歩けば足下から多種多様な植物が広がり、アマミスミレ、アマミカンアオイ、ウケユリ や様々な着生ランの樹上着生植物など、奄美や奄美諸島に限られた固有種や湯湾岳山頂 でしか見られない貴重な植物も多い。その存在価値は高く、国定公園としてだけではな く、天然記念物としても保護されている。
  地質的にはチャートや塊状石灰岩を含む古生層の太平洋プレートの付加帯で、現世で は徳之島北部までの沈降地帯になる。このことは地質的だけでなく、本来は高山部にあ るはずの植物が現在海岸近くにある、ということからも指摘されている。
 
●夜:前田芳之さん(奄美の森保護指導員)
  奄美に住み着いてから30数年、瀬戸内町の手安に造園業「芳香園」を営む。ソテツ を実生で育て島外や海外へ輸出する傍ら、湯湾岳の環境、特に植物の生態を観察・研究 している。環境に負担を掛けない開発のあり方を探りながら、加計呂麻島の島尾敏雄文 学碑記念公園の施工や映画「死の棘」のロケにも関わった。
  現在は太平洋戦争時の旧日本海軍の遺構を発掘整備し、歴史遺産登録を目指して活動 をされている。
■23日(木)  加計呂麻島     写真がきれいなブログ
  奄美大島瀬戸内町の旧日本海軍の遺構は、ウェブページの「兵器や基地の見て歩きリ ンク」にも靖国神社・毒ガス島歴史研究所などと共に、鹿児島県では海上自衛隊鹿屋航 空基地資料館、「奄美大島・瀬戸内町戦跡をめぐる」で載っている。
 
●午前1:旧日本海軍砲台跡(安脚場)  Wikipedia
  太平洋戦争末期、沖縄を占領したアメリカ軍が次に奄美に来るとき、西南諸島最大の 軍事指令基地であった瀬戸内海峡の入口で、岬の高台から射撃できるように作られた。
 太平洋を見下ろす岬の頂上には円形の回転する砲台跡が土饅頭に隠され、その下には弾 薬庫・弾薬格納庫・天水貯水池・防衛衛所跡などが残されている。
 
●午前2:映画「男はつらいよ」ロケ地(諸鈍)
  映画「男はつらいよ」の最終作品が加計呂麻で撮影された。その時のロケ地があちこ ちにあり記念碑が建っている。寅さんはこの地に眠っているとされている。
 
●午前3:旧日本海軍特攻艇「震洋」基地跡・「島尾敏雄文学碑」(呑之浦)   
  旧日本海軍の特攻艇「震洋」の隊長であった島尾敏雄と近くの小学校の教師であった ミホ夫人との出会いの場所である。ミホ夫人との生活を描いた映画「死の棘」の舞台と なり、之浦の入り江を整備して特攻艇「震洋」のレプリカが撮影当時のままおいてある。 このレプリカの製作に関しては前田氏が全面的に関わり、当時の機体制作者とも取材を している。
 
●午後1:ガジュマルの大木(於斎)
  「男はつらいよ」のリリーが住んでいたとされる家がある。ガジュマルの大木の下で お爺さんが満男を諭すシーンが撮られた。デイゴのアーチもある。
 
●午後2:マグロ養殖場(知之浦)
  外洋を遊泳するので技術的に難しいとされた黒マグロの養殖場で、太平洋に面した瀬 戸内海峡と溺れ谷をうまく利用している。時間が合えば餌を与える場面が見られるかも。
 
●午後3:菊の御門奉安殿(須子茂)
  戦前に天皇の御真影や教育勅語謄本などを奉安するために学校の施設内に作られたも ので、戦後は日本帝国主義の象徴として壊されほとんど残されていない。須子茂の小学 校では奇跡的に破壊を免れ現在に至っている。正面に菊の御門が付いている。
 
 
●午後4:旧日本海軍記念碑(瀬相)
  旧日本海軍の記念公園として整備されている。地下壕があるが照明設備が無いので中 を見るには懐中電灯が必要である。
 
●夜:前田芳之さん
  奄美における開発と自然保護に関する話か、島歌の実演を予定している。
■24日(金)
●午前1:旧日本海軍弾薬庫跡(手安)
  旧日本海軍の弾薬庫跡で奥に二段階に掘られ、平行して二列に計4つの大規模は部屋 を持つ。鉄筋を使用した二重構造で戦後60数年を経過してもほとんど劣化していない。
 
●午前2:東京大学医科学研究所奄美病害動物研究施設(古仁屋)
  大島海峡に臨む旧日本海軍の施設跡に立地している。学問的にトカラ列島の南を横切 る生物分布境界線“渡瀬線”によって東洋区に区分され、トカラ以北の日本(旧北区) の動植物相とは様々な点で異なった、亜熱帯のものが多くを占める奄美諸島の病害虫を 調査・研究することが目的で作られた。
 
●午前3:マングローブ林(住用)
  奄美大島で最大の川・住用川と役勝川の合流する広大な干潟で、海水と真水が混じり 合う塩沼地に広がっている。ここのマングローブ原生林はオヒルギとメヒルギ、そして サキシマスオウノキで形成されている。
  マングローブ林の中には大きな貝や蟹が、干潟には甲羅が紫色をしたムラサキカニが 住んでいる。
 
 
 
 
■帰路
   13:15 奄美空港発 → 14:05 鹿児島空港着  
   15:45 鹿児島空港発 → 17:25 羽田空港着